観測地点はずっと先

 友達が大学時代からの友達から「25歳で恋人もなく、結婚の予定もなく、惨めかも」というLINEを受け取ったらしい。

 いつも会う友達とはこういう話をしないから忘れてたけど、25歳といえばそういう歳なのだなあとしみじみ思った。確かに職場の同期は結婚相手探しに奔走してマッチングアプリをしているし、地元の友人の結婚式に参加しまくっている。

 同期たちを見て、地元に友達がいると、ご祝儀が必要になるんだな、と思った。私はマジで地元に1人も友達がいないので、ご祝儀を払ったことがない。結婚式も行ったことない。私の連絡先を知っている者は地元に1人もいないので、地元から見ると私はかなり死んだ人に近い。

 

 「惨め」って、誰から見て惨めなんだろうかと思った。他人から見て?それとも、25歳現在の自分から見て?誰からの目線でそう思うのかを、はっきりさせないといけないと思った。

 他人から見て「惨め(だと思われているだろう)」なのであれば、もう一度自分と向き合って、自分について考えなければいけないと思う。自分は本当に惨めなのか、そう思わされているだけなのではないか?という問いを自分自身に投げかけるべきだ。私だったら多分そうする。

 惨めだと思わせているのは他人からの目線かもしれないし、社会全体かもしれない。それをはっきりさせるべきだ。はっきりさせた後、泣くのか怒るのか決めた方がいい。わからないうちから「惨めだよ〜」って泣くのは無意味だと思う。エルヴィン・スミスも言っていた「君には何が見える?敵はなんだと思う?」って(友達と、中学〜高校くらいで進撃の巨人に触れたかどうかで精神の方向性が変わるという話もした)。

 敵が分かれば「なーんだ、実際惨めじゃないじゃーん🎶」になるかもしれないし、わかってなお「いや、人から見て惨めだったらダメじゃん、辛い」となるかもしれない。まずはそこに到達するべきではないか?と思う。

 無意味な苦しみからは抜けるべきだし、抜けられない苦しみなのだとすれば、苦しむための土壌を整える必要がある。

 私自身ここ数年、悩みの土壌を整えることを意識している。何もわからない暗闇のボコボコした地面で悩むのは辛いので、どこで・誰が・なんで・どうして?を明らかにして、比較的明るくて平らな地面で悩みたい。そのために時間を使おう!と思っている。友達と話していて、改めてこの気持ちを大切にしようと思った。

 

 こんなことを言っているけど、「25歳なのに…」という気持ちは痛いほどわかる。みんな結婚していくと不安だし、私って何も進歩してないな〜と思うこともある。

 深夜に突然不安になってマッチングアプリに登録したこともある。でも、1日もたずに退会した。メッセージが来るたびに「テメェ誰だよ」という気持ちになったからだ。そういうアプリなんだけど、マジで知らん人からメッセージが来ることに耐えられない。こんなんやってられるか❗️と思って、その後2度とアプリを入れていない。

 私の不安なんて、マッチングアプリのメッセージに耐えられないくらいのもんなんだなーと思った。結局、不安だ不安だと言ってても、めんどくせーという気持ちのがでかいのだ。

 深夜にマッチングアプリを入れたあの日の私は「周り(他人や社会)に不安に思わされていた」だけなのだと今ならわかる。自分が心から不安を感じて、それを解決したいなら、知らん奴からのメッセージにも返信するし、めちゃくちゃ角度を工夫した写真を登録するだろうし。

 

 最近は「25歳なのに…」という漠然とした不安に襲われた時、25年後の自分に思いを馳せてみることにしている。50歳の私が25歳の私を思い返した時、多分「あの時婚活を頑張っていれば…」とは思わないと思うからだ。

 50歳の私が25歳の自分を振り返ったら、多分ものすごく笑顔になっちゃうと思う。だって好きなだけお金を使って、1人でどこまでも行けて、めちゃくちゃでテキトーで。そう思うと、「25歳なのに…」という不安がスッと消えていくのだ。

 例えば50歳になった私が孤独なおばさんでも、「でも私って若い頃本当にめちゃくちゃで最高だった」って思えるなら、人生それで良くない?って思う。

 未来がわからないのは本当に不安だ。この先、最悪な人生を歩むかもしれないけど、その不安に飲み込まれて、今目の前に見える楽しさを手放すのは惜しいと思った。本当はあるはずの楽しさを全部無視して「惨めだ」と思うのは勿体無いと思った。不安は尽きないけど、やっとこう思えるようになった。鬱屈とした中学時代の私に教えてあげたい。

 

 「マジでなーんもわかんない、人生どうすんの笑」になる日もあるけど、これに負けない自分でいたいな〜と思う。私のモットーは「めちゃくちゃになりたい時は、自分の責任でちゃんとめちゃくちゃになる」だ。今私はめちゃくちゃになりたい。お金も時間も好きなものに全部注ぎ込みたい。不安を全部無視して、踊り狂いたい。不安を減らすために保険をかけていく生活じゃなくて、不安を無視できるくらいのめちゃくちゃさで生きたいなあと思った。

 未来はどうなるのかマジでわかんないけど、25年後の自分メソッドは自分に向いてるなーと思う。ある意味これは、25年後の自分との信頼関係なのかもしれない。

 何億光年前の光が時間を超えて届く星みたいに、「おい❗️50の私、25の私の光を見てっか⁉️眩しいだろ❗️👍」という今を生きようと思う。

 友達と話していた時はうまく言語化できなかったけど、やっと自分の中ではっきり文章にできそうだなと思ったから書いた。数年後これ見て、また自分について考えようと思う。